村上 孝太郎
幻の財政硬直化打破キャンペーン 2/2
硬直化打破キャンペーンの立役者となった村上孝太郎は、その真意をつぎのように書き記している (『朝日ジャーナル』一九六七年十二月十七日号 「抑え切れぬ膨脹の圧力―― 大蔵省の立場」 より) 。
「戦後二十数年間、私たちは毎年 『財源は少ないぞ』 といいながらも、とにかく無難に予算を編成してきた。しかし、今年は従来の予算編成のむずかしさ、やさしさの問題をこえた、いわば財政の本質に関連する危機状態が予算編成の前途に横たわっていることを痛切に感ずる。『財政の硬直性』 ということばで、現在各方面に訴えている問題がそれである。……では、財政の硬直化とはなにか。簡単にいえば、財政を構成する諸経費が内在的にふくれ上がり、しかもその膨脹のテンポが非常に激しくなって、その膨脹力を調整・コントロールする力が財政当局に失われたことをいう。……それでは、財政の硬直性を打破するにはどうしたらよいか。それには二つの段階が必要ではないかと思う。一つは財政への安易な依存ムードを断ち切ること。しかし、現在の日本に広く、深くしみついているムードを、そう急に断ち切ることはできないかも知れぬが、いままでのおかしな考え方を徐々に直してゆくことは必要である。もうひとつは、硬直化の要因として、日本の経済構造の反射を受けている部分――たとえば、公務員給与の引上げは人事院が民間給与との差額を勧告することになっている。この問題をさらにつきつめれば、物価と賃金の循環ともいえる――このような経済構造自体のひずみの反射というものと深くからみ合っている。したがってそういうものをつくり出している諸環境を整理することが必要である」
村上はこの論文でさらに 「借金」 の問題についても言及している。
「……公債政策をどうするか。 たとえ建設公債であっても、もう減税と公債の二頭立ての馬車に乗ってやっていける時代ではない。減税をどうするかを頭に描きながら、景気の悪い時は公債を出して刺激するが、好景気の時は公債を出さなくてすむところまで財政上の公債依存率を下げたいと思う。もっとも、公債依存率の引下げは簡単ではなく、五年後に依存率を五パーセント程度に下げるには租税負担率を五パーセントぐらい上げなくてはならぬという試算も出ているが、今後の減税政策をどうするかとも関連して検討すべきだろう」
実際に日本の財政が赤字の泥沼にはまり込むおよそ七年前、 このままでは将来、必ず危機が到来するとの予感を抱き、「転ばぬ先の杖」 を用意すべく孤軍奮闘したグループがいたのである。政治家の抵抗と行政機構の厚い壁に阻まれて、それまで誰一人として手をつけることができなかった財政の硬直化原因にメスをいれようという試みだったが、結果的にこのキャンペーンはどんな結末となったのだろうか。
野党側は、国民生活を圧迫するものといって大蔵省路線に反発し、逆に経済企画庁長官だった宮沢喜一は 「スタンド・スティル・ポリシー ( 何もしない政策 ) 」 を提唱して村上らを側面から援護するなど、各方面で硬直化論議が沸き起こったが、肝心の四十三年度予算は前年度の一七・五パーセント増 ( 四十二年度はその前年の一四・七パーセント増だった ) となり、村上たちの奮闘の割には歳出削減は成功しなかった。そして、四十四年八月、村上が事務次官を最後に大蔵省を去ると、そのあとは水を打ったように硬直化論議の熱気も霧消してしまったのである。
百兆円の背信(塩田潮著)
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